彼らにしてみれば死にゆく者が宴会に来られても、どう対処してよいのか困り果てたのであろう。仕方ないことだと思う。その気持ちは理解できる。しかし、私は周辺との絆をひとつまた失った、断ち切られたように感じる。日常が遠ざかってゆく。「最後の」が、「いつもの」ではなくなってしまう。生活が周辺から切り取られ、末期癌患者としてのあるべき生活――宴会に出て酒を飲み、普通にお喋りをすることは末期癌患者らしからぬ生活なのであろう――に追い込まれてゆく。自分がいくら闘う気持ちでいて、今までの生活にしがみついていようとしても。これはおそらく病院全体で年一回行う歓迎会である。手術を受けて二カ月もしないのに宴会に出ているのだから、すっかり元気なんだろうと普通の人は思ってしまう。むしろ励ますつもりでいろいろな話が出たんだと思う。しかし、事情の分かる主治医や私などはどうしても単純に明るくふるまって励まそうという気にはなれず、彼の気持ちの奥底を理解しながら発言するようには気をつけたつもりであったが、今となっては自分の言葉を検証することはできない。